ライラックの時期もあっと言う間に過ぎ去り、
6月になりました。雨のヨサコイも終わり、いよいよ札幌祭りの時期となりました。お祭りが終わるといよいよ夏の到来です。
先日仕事で函館出張に行ってきました。帰りになかなか行く機会のない道南の日本海側、江差町を訪れました。江差といえば、ニシンでの繁栄、そして江差追分が有名ですが、今回は明治維新の戦争の歴史に触れてきました。江差の中心地に行くと、海岸に立派な帆船が係留されていました。なんだろうと思い、近づいていくと、幕末に箱館戦争の主役を務めた、榎本武揚率いるあの開陽丸でした。といっても復元されたレプリカで、現在は博物館として使用されているものでした。建造は江戸時代の1867年で、江戸幕府が海軍強国のオランダに初めて発注した、当時としては最大級の軍艦だったそうです。艦内には多くの大砲が原寸大で多数配置、展示されていましたが、大砲はドイツ製で、射程が約4kmの当時最先端のクルップ砲を多数備え、圧倒的な攻撃力を誇っていたそうです。開陽丸は、最後の将軍、徳川慶喜の大阪脱出で使われたり、戊辰戦争の発端となる戦闘から箱館戦争に至るまで、常に旧幕府軍の切り札として威力を発揮していました。しかし、その最後の地が、ここ江差だったというのは意外でした。旧幕府軍が箱館戦争を有利に進める中、開陽丸は松前に続き、江差を制圧すべく江差沖に到着。しかし、新政府軍はすでに撤退しており、江差は難なく無血開城。しかし開陽丸はここで海の藻屑となってしまうのです。開陽丸を沈めたのは、江差特有の「タバ風」と言われる強風でした。風に煽られ、硬い岩礁に座礁し、そのまま沈没。確かに私が訪れた日も、快晴にも係わらずずっと強風が吹いており、風速計で測ると10m/sを超える時もありました。低気圧の時はその比ではないでしょう。旧幕府軍が開陽丸を失ったことは、後の箱館戦争への敗北、そして明治維新に繋がっていくのですから、江差町は日本の歴史のターニングポイントになった重要な地と言えるでしょう。開陽とは、「夜明け前」というオランダ語の和訳だそうです。開陽丸は文字通り、日本の夜明け前に姿を消したのです。江戸時代末期に、オランダ、ドイツなどの技術を使った軍艦が日本にあったこと、それをちょんまげの兵士が操作していたことを思うと、欧米列強に翻弄されつつも立ち向かっていた先人達の姿、そしてそのお陰で先進国としての今があるのだということを改めて感じさせられた一日でした。
先日、卓球ジャパンオープンで、男子は張本智和選手、女子は伊藤美誠選手が、いずれも中国世界チャンピオンを破りアベック優勝しました。中国に勝つことなど不可能と思っておりましたが、日本の若い力が重い歴史の扉を開いてくれました。日本卓球界は黄金時代を迎え、東京オリンピックがますます楽しみになりました。私も「チョレイ!」や「美誠パンチ」を真似てみようかと思います。
暑い日があったと思いきや、寒い日が続いたり、気温の変動が激しくなっています。温度管理、体調管理に気をつけて、爽やかな北海道の初夏を楽しみましょう。
写真は、江差の砂浜です。夕陽に染まる夕顔が綺麗でした。
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